闇落ちSIerの日常

SIerのはずですがIT関係は少なめにほぼ愚痴。全て愚痴。

クソコードを求めて

ネット上に気持ちを吐き出すツールとして、本ブログ以外にツイッターがある。趣味の交友用に分けていることもあり、基本的には仲間内だけがフォローしているような、スパムを含めても50人前後の狭い状態ではあるが、そのおかげで気軽になんでも呟いている。

先日そのツイッターで、クソコードについてのポエムをつづってみた。するとフォロー外の方から1人2人程度ではあるが、反応があった。

フォローもしていない人のつぶやきに反応するということは、おそらく「クソコード」で検索して見つけたのだろう。
仕事ではクソコードを見たくないが、他人のクソコードは見たいという気持ちだ。同感できる。
当事者にはなりたくないが、第三者としては非常に趣深いのだ。クソコードは。

クソコードの展示場を作ったら、意外とみんな見に来るんじゃないだろうか。

そんなクソみたいなことを思いながら、私とクソコードの戦いは続いていく。

プログラムの勉強の仕方がわからない

プログラムを勉強したいと思う人の中で、「C言語やらJavaやらPythonやらいろいろあってわからない。まず何から始めればいいんだ?」となる人が多いのではないだろうか。しかも言語だけじゃなくてフレームワークとかの名前も飛び交うことがあるので余計混乱する。実際僕も始めたころはVB6とVB.NETの何が違うかもわからなかったし、C#と.NETは無関係の間柄だと思っていた。

アドバイスする側は、自分が教えるのであれば得意な言語をオススメするのかもしれない。だが、多くの場合は「プログラムで何を作りたいの?」と質問して、回答に適した言語をオススメするだろう。実に合理的な行動だと思う。目的を明確にすることは何よりも重要だということが身体に染みついているのだろう。
目的がなければ、まず何を作りたいかを考えてから勉強することをオススメされるのであろう。役に立つことがわかってから実施しなければコスト(時間)が無駄になることを覚えさせられているのだろう。

では、目的がない人は勉強する意味がないかと言われれば、そんなことはないだろう。中学校で三角関数や中世ヨーロッパの歴史を目的を持って学習する人が(たぶん)いないように、学習すること自体も大切であろう。
だが、ここで問題になるのは「どう勉強するか」である。初心者中の初心者であれば適当な流行り言語を選んでコンソール入出力や対話プログラムを作るところから始めればいいのかもしれない。だがそういう初歩的な部分をクリアした、中級者はどうすればいいのだろうか。

自作のツイッタークライアントでも作るか?スマホ向けのゲームアプリを作ってみるか?ローカル空間で情報を管理するWEBサイトでも作ってみるか?なんだか一気にレベルが跳ね上がった気がする。スライムを倒したら次はドラゴンが襲ってきたような感覚だ。

なんだかこう、スライムとドラゴンの中間になる、オーク的な、適したレベルの内容はないのだろうか。この間までスライム狩りをして意気揚々としていた僕には、ドラゴンはまだ強すぎる気がしてしまう。

時をかけたSIer

先週の後半、全て有休を使って休んだ。理由としては、時を遡ってしまう能力を得たからである。

まず1日目の夜は、全然眠れなかった。規則的に0時ちょうどに布団に入るようにしていて、その日もミリシタのログインボーナスだけを受け取って、布団に入った。しかしなかなか眠りにつくことができず、延々と寝返りを繰り返していた。体感として1時間くらいだろうか、それくらいが経過した時点でうっすら眠気がやってきて、そのまま1度寝た。しばらく(?)して、急に眼が覚めた。理由もなく動悸が激しい。吐き気もする。

眠れたのにマジかよ。。。とこの世の全てを憎みつつトイレに這いずり、時計を見た時におどろいた。時間は23:30。布団に入る前の世界にきてしまったのだ。時を遡ってしまったことにおどろきつつ吐き気と戦っていたが、数分の戦闘で気がついたことがある。時計が進まない。時が止まっているのである。

現象がはっきりとしてきたところで落ち着いたのか、吐き気もおさまってきたのでおおよそ10分ぶりくらいに布団に戻り、スマホの画面を確認した。0:30。おかしい。トイレから1時間もかかったわけがないし、そもそもトイレに行くときには体感としては1時を過ぎているはずである。トイレでの戦闘を差し引いても、布団に入って寝返りを繰り返していたのがたかが20分弱だとはとても信じがたい。時の止まったトイレにいたせいで元の世界の時間軸が狂ってしまったようだ。

結局狂った世界でもなかなか眠りにつくことができず、十分に登った太陽の存在にうんざりしながら申請のメールを出しつつ脳みそが1ミリも回転しない状態で韓国ドラマを見ながら、座椅子でようやく2時間くらいの睡眠を勝ち取ることができた。

そんな能力もこの土日でゆったりと生活したせいで弱体化されてしまい、ただ眠ろうとすると時間の進みが遅くなるだけの能力となってしまった。

おかげさまで今日も死体のような身体を引きずって会社まで来たが、未だに脳みそが1ミリも動いていない気がする。IQでいえば2程度、つまりほぼサボテン状態。二酸化炭素を排出してしまう分サボテンより悪かもしれない。

そんな状態でいても頭痛は続いているので、帰りたいし休みたいのは継続中であるが、もう使える有休もそんなに残っていないのもつらい現実である。

笑われるあの子

たまにウソの報告、誤った報告をしてくる後輩がいる。
この事実だけでいえば、彼は社会人として失格と判断されてしまうかもしれないが、今日の会議での様子を見ていると、こうなったのはあの上司が原因なのだろうと感じてしまった。

彼は進捗を報告するときに、「お客さんから提供された資料に軽く目を通したらこんな不具合がありました。」と資料の欠点を指摘/報告してくれた。その報告にウソもないし、他の人も参照する可能性がある資料だから、彼の行動は有益だったと思う。だが、それに対して上司は笑いながら「いや、俺らじゃなくてお客さんに伝えてよ」と回答した。笑いながら、といっても上司の性格から考えると、会議全体の空気を和やかにするため、空気を悪くしないためにあえて砕けた形で指摘したかったのだろう。指摘としても間違っていない、我々が知ったところで修正されなければ意味がない資料だからだ。だが、報告した彼からすれば嘲笑を受けたと思ってしまうだろう。実際、ばつの悪そうな顔をしていた気がする。

だから、彼は笑われないためにウソの報告というか、ぼやけた報告をするのだろう。行動としては間違っていると思うが、彼としては正しい事を報告したところで笑われてしまうのだから、身を守るために行動してしまうのだろう。とっさに身を守る行動なのだとしたら、正直仕方のないことだと思ってしまう。

ただ、突き詰めていけばウソの報告は困る。報告される側も困るし、結局彼も自分の首を締めているにすぎない。だが、とっさの行動だとしたら直すのは非常に難しい。ただ「ちゃんと報告しろ」というだけであれば、それは彼に「身を守るな」と言ってるだけであるし、環境が改善されない限り、悲劇は繰り返されるであろう。
かといって対して親しくもない上司に「あれ、嘲笑として受け取られかねないですよ」なんて差し出がましいことは言えるわけがない。

結局僕にできることがあるとすれば、会議後にメールで「指摘してくれてありがとう。こちらも参考にしていた資料なので助かります。」と後輩に伝えることしかない。写しに上司も添えつつ。彼の正しい行動を認めつつ、フォローしてあげている空気を出すことで上司も何か所作に問題があったのでは?と気がついてくれ、と願うのである。

批判の非難

インターネットというものを使いだした、と言うよりハマりだしたのは、約15年くらい前にオンラインゲームをやったことがきっかけだと思う。

オンラインゲームでいろんな人とチャットして気がついたことは「匿名だから人前じゃ言えないことを発言できる」ということ(当時は小~中学生くらいだったので、しっかり認知していたわけではないが)。自分が面白くないと思う流行りものも、学校では人気者がやっていることなのであぶれないように自分も楽しんでいるフリをしていたが、ネットでは何が面白いかわからない。と平気で発言して賛同を得られていた記憶がある。

そのため自分としては、「ネットは自由に批判していい場所」という認識をもっていた。現在もそうなのではないかと信じている。

だが最近のネット事情、ネット社会はどうも違うらしい。

ブログで「○○(人気アプリ)ツマンネ!」と言えば「面白くないならやらなきゃいいじゃないですか!」とか「流行にあえて乗らない俺カッケーですか?w」等を見ず知らずの他人からコメントを送られたりするらしい。人気者は。

コメントの前者に対しては、始めた時点ではわからないからやってみて、結果合わなかった(=つまらなかった)としているだけなのでそもそも的外れな気がする。後者に関しては流行ってたってのべつ幕無しに取りこぼしなく全員が楽しめるものなんて存在するわけがなく、これも指摘としては理解ができない。

なんで対象のネガティブな面を書くことで非難されなければいけないのだろうか。その人が非難している理由を読んで、なんでそう思ったかを読み取るべきであり、それが分からないならそういう意見もあるのだな。で片づけるべきであると思う。
自分が酔狂しているモノが非難されているのであれば「いや、○○ってことをするとおもしろいんですよ」とか、その人が気が付いていなさそうなことを教えてあげるのが良いのではないか。
そもそも自分が面白いと思っている点が非難されていて、理解できないのであればそれこそ「理解できないならコメントしなきゃいいじゃないですか!」だと思う。

話が逸れてきてしまったが、私一個人の意見としては、みんな好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。と発言して、それに食ってかかることはしないでほしい。ネガティブな意見を発言すると炎上する構図というか、その行為自体を非難されてしまうと、世の中のすべてのモノに対して好きであると表明しなければならない。それがつらくてネットに書き込んでいる人だっているのだと思う。私はその中の一人である。

やるきげんきゆうき

仕事に対して、どれも発揮できない。できないのではなく、しないのかもしれないが、とにかくやる気も元気も勇気もない。

やる気がなくてもやるのが仕事だろ!と言われるかもしれないが、やる気がないので効率が非常に低くやらざるを得ない。結果、自己ノルマに達しないのでやれていないのと同義である。

元気がないなら休めよ!と言われるかもしれないが、休みたくても僕が抜けると上長の仕事が増えるので躊躇われる。そもそも月単位での休みをもらうのは気がヒケる。

勇気ってなんだよ!と言われると思うが、やる気がないとか元気がないと職場に堂々といないことだ。結局やれない理由を探しているだけで、いざ実行することができない。

役割分担

同業種の友人がちらほらいるので、仕事の愚痴を聞くことがある。そこで良くモヤモヤするのが「俺の仕事ではない」という意見である。

彼らの言い分としては、仕事の割り当てをするのは管理側(上司)の仕事であり、我々は言われた作業を遂行することだけが仕事であるとのことである。
間違ってはいないと思う。そのために会社と言う集団に属しているのであり、かつ管理職は多く給料をもらっているのだから。

ただ、正しいとも思えない。言われたことをやるだけであれば人間である必要はないだろう。それこそ機械化/プログラム化すべき部分な気さえしてしまう。
個人の意見でいえば波風立てずにやればいいのにと思ってしまうが、それは本来の仕事では部分をになってもらうことになるので直接言えば問題になりかねない。

職業柄「正しさ」を求めてしまう気がするが、正しい事が正解ではないことが多い気もする。